たまにはまじめに正直な思いをかいてみよう
なぜこれを書こうかと思ったかというと、先ほどまで見ていたテレビの内容に触発されたからです。
それと時間が余っていたからだよ(^o^)
先ほどテレビで、
JR福知山線脱線事故で、奇跡的に助かった女性が徐々にではあるが、回復していく過程をドキュメンタリーとして記録した映像をやっていたんだ。
最初発見されたときは、
口の中は硝子の破片で一杯になっており、性別も年齢も判別ができないほど土まみれになって発見されたそうである。
その後、救急病院に運ばれる途中で
何度も心肺停止状態になり、病院に運び込まれた後も病院先生が家族に「もう助かりません。例え万が一助かったとしても一生寝たきり、意識も戻るかわかりません」と断言していたほどの症状だったそうである。
それが本当に奇跡が起こったのか、その女性は
数ヶ月後に反応し始め、母親の呼びかけに一番最初に出た言葉が
お母さん
だったそうである。
その後も、色々な困難を経て、辛いリハビリを経て、事故から2年が経過したときに、初めて事故現場に家族と一緒に行った映像が流れていた。
その女性の顔は非常に複雑であり、出てくる言葉は「
悔しい」だけだった。ちぃにぃには、その気持ちが少しだけ実感出来ます。
一人でテレビを見ていたけど、もう涙が止まらない状態だった。
番組の放送が終わった後、このドキュメンタリーを取材した若い女性のディレクターのインタビューがあったのだけれども、その中で事故にあった女性が事故直後に列車の中で考えていたことを紹介していた。何を思っていたかというと
生きたい、こんな所で死にたくない
ということだったようである。
一体何が奇跡、何が奇跡で無いのか
非常に考えさせられた場面であった。
それからもう一つ
彼女は事故後人が変わったように、人に対して優しくなったと家族が言っていた。
また鉛筆を持って一番最初に書いた言葉が
ありがとう
だったんだ。(もうどの場面でも涙チョチョギレだったよ(^o^))
それからもう一つ
事故後初めて最初に担ぎ込まれた病院での場面で
私の回りにいた人の誰一人としていなかったら、私はこうして今ここにいないと思う
と言っていた場面があったんだ。
本当なら、絶対に死んでいてもおかしくない状況で、でも生きたいと思うことにより宿命的に助かり、自分のせいでは無いにもかかわらず、周りの人に対して感謝の気持ちをもち、それを言葉で、態度で表している彼女の姿を見て、ちぃにぃは彼女ほど酷い状況では無かったけど、かなり近い部類に入る経験をしたということを、今もって再認識させられ、色々と考えさせられたんだな。

まぁ
何が言いたいか、書きたいのかは良く伝わらないかもしれないけど、勘弁してくださいな。
そうそう自分の思っていることがきちんと文章に書けるものではないからね。
というより、言葉に書くとちょっと照れくさいというのがあるからごまかしているだけなんだけど(^o^)

で、もう一つ思ったことが、
今行っている裁判がどの様な結末を迎えるかは解らないけど、ちぃにぃが遭遇した事故というものが、一体客観的にどの様なものであるのかということを、じっくり考えて行きたいと思っている。
どの様な判断が下るか、それに対して自分が納得がいくか、それは解らない
でも、
社会の中で生きている以上、その判断をしっかりと受け止めていければと思っている(建前でなく本音なんだよね)
でもさ〜、今までこのHPで色々とおちゃらけて書いていたこともあるけど、
今回の裁判でちぃにぃが本当に欲しいと思っているのは何かというと、それは
・事故の前の体
・事故のおかげで失った色々な時間
これが一番
<加害者の真摯な謝罪の言葉>

なんだよな〜
恐らくどれも満足いくものを得ることは不可能なんだろうけどね・・・
と、
結構まじめに書いてしまったな。
なんかいつものちぃにぃでは無いぞ〜(笑)
テレビに触発されたかな(^o^)

  終わりへの道のり