今日裁判がありました。
第一回公判です。
でもって、朝10時頃に霞ヶ関にある東京地方裁判所まで足を運んできたんだよ。
地裁は高裁と同じ建物に入っており、桜田門の目の前にあります。
非常に大きな建物で、人がわんさわんさといました。
最近特にテロとかが問題になっていることもあるためなのか、元々そうだったのか、入り口にはX線による荷物検査と空港の金属探知ゲートがあり、一般客?はそこを通り中に入ります。
中にはいると
ロビーの一番手前に今日行われる裁判の見出しみたいな物が置いてあり、なにやらそれを一生懸命見ている人がいます。
後で聞いたんだけど、どうも
傍聴を趣味とする人たちがいて、その人の興味をそそる裁判を探しているみたいです。
ちぃにぃは6階にある法廷へと行き、しばらく外で待っていたんだけど、まぁどんなもんかと思いつつ法廷の中に入ってみました。
すると、そこでは公判が行われていました。
もの凄く不思議だったのが、
ちぃにぃが入っていっても誰も何も言わず、こちらを見ようともしません
これも後で聞いたんだけど、
法廷を傍聴することは憲法でも定められており出入りは基本的に自由で、ある程度マナーを守っていれば特に制約はないということ。
「ふーん、そうなんだ。」
今時騒がれているプライバシーというものがどこまで保全されるのかという事についての議論は無いみたい。まさに人のプライバシーの根本について話し合われている場所なんだけどね。
見る権利があるのであれば、見られない権利もあっても良いとも思ったりしてね(^o^)
とっても不思議な感覚になりました。
で、本題の第一回公判なんだけど、最初弁護士の先生からは「相手は欠席すると思いますし、1-2分で終わってしまうかもしれません」と言われていたんだけど、相手側の弁護士は出廷していました。ちぃにぃより少し年上の女性弁護士だったんだよね。
でもなにか年の割には落ち着きのないオドオドした感じの人だったな。
それで公判の内容はというと、特に書くこともありません。なにやら書類の差し替えがどうのとかいう事務的な手続きを行い、その後次回の公判の日程調整をしていたんだな。
で、次回は3月中旬に決定。
しかし、ここでもう一つ不思議な事があったんだ。
何かというと、
相手は何を争点にして争うのかということを準備していないということ。
これから訴えられた内容につて色々と調査して行くみたい。
病院へ色々な記録を取り寄せたり、何を争点にして行くかということもこれから検討するみたい。
これも後で聞いたんだけど、
訴える方(原告側)はあらかじめ色々な準備をして裁判に臨むんだけど、訴えられる側(被告)はその時になってから初めて準備しますよというのが結構一般的な話なんだって。当然中には色々と準備をしていく人たちもいるみたいだけどね。
まぁ何が普通なんだか良く分からないけどさ。
次回日程も無事決まり、弁護士の先生と少しお茶を飲みながら雑談した時に色々聞いたんだけど、
裁判官は常に100-200件もの訴訟を抱えており、例えば今回のちぃにぃの件の様に医学的判断が必要となる訴訟に対しても裁判官が内容を吟味して何らかの結論をつけるという事になるみたい。
それって、凄くない?
その時に裁判官個人の感情がどの程度はいるかは知らないけど、人間である以上気持ちが全く入らないということは無いはずだよね。
でも客観的に見て、それが
医学的とか科学的とか法律的とかとにかく色々な諸問題を総合的に勘案して何かを判断するのって確かに凄い。でも本当にできるの?って感じ。
大岡越前みたいに、三方一両損みたいなお裁きをすることは無さそうだし・・・
でも、やはり個人の個性みたい物はでるんだろうし・・・
まぁちぃにぃが訴えている先は交通事故(そのほか忘れたけど)などを専門に扱う部署みたいだからある程度は経験も積まれるんだろうけどね。
まぁ今後どの様な展開になっていくのか楽しみです。

先生とお茶を飲みながら話をしていたときに、ちぃにぃが「
これからの展開に非常に興味があります」とか話をすると「その様な感覚で裁判に臨まれる人は非常に珍しいです」と言われたんだよね。
やっぱり
ちぃにぃって、どこか感覚がずれているのかな(笑)
でも、こんな気持ちでいられるのは、自分自身に起きたことだし、今こうして生きていることができているわけだし、確かに背中の痛みとか色々な後遺症には悩まされてはいるけど、まぁ普通に生活できているからなんだよね。
普通に生きていけるということのすばらしさを感じることができているからなんだよね。
事故の遭った後に入院した先の院長先生から
「これからの人生は余録だと思って生きていくと良いよ」
と言われたことを自分なりに解釈できたからなんだよね。

と、まぁこんな感じで第一回公判の巻きも終了です。
次回になる前に、裁判とかについて色々と考えていきたいと思っています
  終わりへの道のり